楽曲探訪 第2回「高貴なるレクイエム 〜 聖」


5月3日の合奏練習は、朝から夕方までみっちりやりました。午前中は弦楽合奏、午後は全体合奏。さすがに終盤はくったくたになってしまいましたけど、大好きなドラクエの音楽にこんなにも真剣に打ち込める環境があるというのは、本当に幸せなことです。


さて、我々もょ響が練習してきた曲の中からピックアップしてお届けする楽曲探訪の第2回は、ドラゴンクエストV から「高貴なるレクイエム 〜 聖(ひじり)」


前半の「高貴なるレクイエム」は、全滅時の BGM ですね。とても深い悲しみを感じる名曲ですが、ゲームを進める上でこの音楽が鳴る場面に遭遇するとショックかも知れません。ゴールドマンでお金を稼いだあとに全滅とかありえないしね!


”レクイエム”は「鎮魂歌」という意味ですが、その頭に「高貴なる…」と付いているのは、主人公がグランバニア王家の血を引くことによるものでしょうか。王家で執り行われる厳かな葬礼の様子が感じられる雰囲気があります。


……と、表面上は思うのですが、ここで例によって「ドラクエの世界に住む人々」の目線でこの曲を考えてみたいと思います。
ミルドラースの恐ろしい野望を打ち砕けるのは、もはや勇者たちしかいない。そんな状況下で、勇者たちが魔物によって倒されてしまった。そうなると、次に待っているのは他でもない「一般市民である自分に訪れる死」です。自分の力ではモンスターに抵抗することがでず、このまま黙って運命の日のを待たなければならない……そんな「自分の身に確実に訪れる死の恐怖」の観点からこの曲に向き合ってみたいと思うのです。


チェロとコントラバスによって始められるメロディは、勇者たちを失った悲壮感ではなく、自分の人生がいま閉ざされてゆくという絶望感。同時にティンパニによって導かれるリズムは、葬送行進曲ではなく、歩みよる死の足音。次第に弦楽器が重なって音楽が厚みを増していくさまは、自分に訪れる死を徐々に認識させられるという、そういうリアルな陰鬱さを表現しているもののようにも感じられます。主にヴァイオリンが悲痛なメロディを奏しますが、同じ音を重ねて演奏する箇所なんかは、死の運命から逃れられないという切迫感があります。終盤で訪れる鐘の音は、死へのカウントダウン。それでも一番最後に鳴る鐘だけは、なんとしてでも助かりたい……そういう儚げな希望の光を灯すのです。


……なんだか書いてるだけで気分が落ち込んでくるのですが、今回はこういう視点で演奏にチャレンジしていきたいと考えています。当日聴きにきてくださるお客様には、リアルにドラクエの世界を堪能していただきたい。そういうテーマで取り組んでいきたいと思うのです!


後半の「聖」は、一転してポジティブな気持ちで演奏したいものです。


これは主に「ほこら」で流れる BGM ですよね。ほこら系の曲を聴くと、どういうわけか目の前がモヤモヤしてどこか知らない場所に飛ばされてしまいそうになります。「さいごのかぎ」を持っていないことにガッカリするのも、たぶんほこらが多いですよね。


「高貴なるレクイエム」では運命づけられた死をテーマに演奏しますが、「聖」ではそんな絶望的な状況にあってもなお希望の光を見失わない人々の小さな命のともしびを表現したいです。ここではオーボエがメロディを演奏しますが、オーボエ特有の儚げで温かみのある響きが、聴いているみなさまの心にも小さな火を灯しますように。



※ 「もょ響アーカイブ」は、2009年に「もょもと交響楽団 活動報告」ブログで投稿したものを、一部アーカイブとして整合性がとれるよう編集して掲載します。